所有から共有へ
今日のコラム♪
『所有から共有へ』
本日、ついに
初の女性総理大臣が誕生しましたね。
第104代内閣総理大臣 高市早苗
海外でも大きく取り上げられるなど、
歴史に残る一幕となりました。
さて、
今日は、政治の話ではありません。
私は、以前から
疑問に思っていることがあります。
それは、
「地球上の土地を個人や企業が
『所有』していること」
私も銀行から多額の借金をして、
土地を所有している一人です。
「私の」土地は、
不動産会社から買ったものです。
しかし、
ふと、思うときがあります。
ここの土地は、もともと
誰のものだったのだろうか。
昔から誰かのものだった訳では
ないはずです。
いつから、
誰かの土地になったのだろうか。
この疑問を解決するために、
歴史的視点から、
土地の所有に至るまでの背景を
見ていきましょう。
まず、
「大化の改新」の頃、
土地はすべて朝廷のもの
とされていました。
当時、
人々は、朝廷より土地が貸与され、
亡くなると返却することになっており、
当然、相続や売買といった考え方は
ありませんでした。
その後、奈良時代になり、
「墾田永年私財法」によって、
新たに開墾した土地の
永続的な私有が認められる
ようになっていきました。
そして、
1873年(明治6年)の
「地租改正」によって、
明治政府が「地券」を発行し、
土地の所有者を明確化しました。
この制度が、
現代の土地所有の基礎と
なっていきました。
「地券」は、今でいうと、
「登記簿謄本」ですね。
これが、
土地所有の権利書となります。
しかし、
次第に土地が現金化できる
「資産」となっていき、
売買する対象となってからは、
売買を繰り返すたびに、
土地の価格は跳ね上がっていきました。
今では、数十坪で、
数百万~数千万円という価格で
取引されているのが実情です。
そして、今
日本の土地の一部は、
海外の方が所有者に
なっている場合があります。
私は、この状況に
違和感を覚えるのです。
私は、日本の土地は、
「日本国民全員のもの」で
よいのではないかと考えます。
それを、
「国」が預かって管理をしている
という考え方でよいのではないかと
思っています。
「大化の改新」の頃の考え方ですね。
海外の人や企業が、日本の土地の
「所有者」になることなど、
以ての外だと、私は考えます。
あなたは、このような状況に
どう思われますか?
さて、
「土地」の話が随分と長く
なってしまいましたね。
では、
今日のテーマある「所有」に
ついて、もう少し見ていきたい
と思います。
昭和の時代、
『所有』することは、
ステータスでした。
家、高級車や高級時計、宝石
ブランドファッションなど
様々なものを所有していました。
そのことが、
その人の価値だと
認識されていたのです。
しかし、
平成から令和の時代となった今、
「持たない」「所有しない」
ということが、当たり前のような
状況になりつつあります。
そして、
経済の仕組みが
その状況を後押ししています。
数年前より、語られるようになった、
「シェアリングエコノミー」
「ギフトエコノミー」
という考え方があります。
今、「所有しない」という考え方は、
企業にも浸透しつつある中で、
それを逆手にとったビジネスが
流行っています。
たとえば、
「車を所有しない」
カーシェアリング、レンタカー
「事務所を所有しない」
コワーキングスペース
などがあります。
もっと個人的になれば、
ファッションや音楽・映画なども
「サブスクリプション」(通称サブスク)
などの仕組みによって、
わざわざ買って「所有」することが
なくなってきているのです。
今では、住居すら持たずに、
「住居のサブスク」によって、
旅をするように生きているような
方たちもおられます。
必要なときに必要なものがある
環境になれば、
「所有」するという欲望は、
なくなっていくでしょう。
これが、
「シェアリングエコノミー」です。
そして、
「ギフトエコノミー」とは、
その次にくる概念かもしれません。
これは、
見返りを求めずに、
モノやサービスを無償で与えあう
経済システムのことです。
これは、
人々の善意と信頼関係で成り立つ
システムです。
「おすそわけ」などが、
この概念に当てはまるのでしょうか。
最近では、「こども食堂」などが
これに当てはまるのかもしれません。
そう考えると、
「ギフトエコノミー」などと
定義づけなくとも、
私たち日本人は、昔から持っている
感覚なのではないでしょうか。
これから、ますます
個人で「所有する」という
感覚は薄れていき、
すべては、みんなで「共有する」
という感覚が
普通になってくるのでしょうね。
あなたは、どう思いますか?
では、今日はここまで~♪