自分を生きる
今日のコラム♪
『自分を生きる』
私たちは、誰かのために
生きている人が多い。
もしかしたら、
あなたもそう感じている
のではないでしょうか。
最近、
「自分は何のために
働いているのだろうか」
と考えるようになった人が、
増えてきているそうです。
さて、
今日は、まったくの個人的な話です。
もし、『タイトル』を見て、
心に引っ掛かりのあった方は
読んでみてくださいね。(^_-)
最近、
私の身近な音楽仲間から
こんな話を聞きました。
前からすごく楽しみにしていた
コンサートがあって、なかなか
取れないチケットも入手したのに
仕事で行けなくなりそう・・・
それで、
「何のために仕事しているのだろう」
と思ってしまったようです。
『タイトル』の
「自分を生きる」とは、
言い換えると、
「自分のやりたいことをやり、
それを楽しむこと。」
シンプルですが、
そういうことだと思います。
それが、
この地球に生まれてきたことの
「すべて」ではないだろうかと、
最近になって思います。
しかし、
「自分を生きる」のではなく
「誰かのために生きている」と
心のどこかで思っている方が
多いような気がします。
そんなことはない!
私は、自分のために生きている。
心からそう言い切れる人は、
大丈夫ですね。(^_-)
でも
本当にそう言い切れるだろうか…
と思われた方は、もう少し
読み進めてみてくださいね。
実は、私もそうなのです。
本当に
「自分を生きているのか」
と考えたとき、なんとも言えない
空虚感があったのです。
だから、
今日のブログは、半ば自分自身に
向けて書いています。^^;
ここから先は、
よき聴き相手として
お付き合いいただけると
嬉しいです。(^_-)
さて、
あなたは、
「会社で働くこと」
「家族を支えること」
これらを軸にして生きていませんか?
中には、
自分の好きなことなどする
時間など持てるはずがない…
という考え方をしている人も
おられるかもしれません。
子どもの養育費、学費を
稼がなければいけない。
「家族サービス」という
言葉が象徴するように、
家族で旅行やレジャーに行くなど、
たまには家族を楽しませてあげよう。
両親の世話をしなければいけない。
場合によっては、
兄弟の面倒をみないといけない。
など、
心のどこかで、こういう想いを
持っているのではないでしょうか。
もっと
別の言い方をしてみましょうか。
私は、「誰か」に「何か」を
してあげなければいけない
立場、役割だと思っている。
このような思考の人は、
他人(外)から見たら、
とてもよくできた人格の持ち主と
思われることもあるでしょう。
しかし、
このような方の多くは、
自分自身に目を向けていない
のではないでしょうか。
今、ここに疑問を持ち、
「自分を生きる」ことを
選択しなければ、おそらく
一生このままかもしれません。
念のため、誤解のないように
補足しておきますが、
これは、
「自分勝手に生きる」こと
とは違います。
「責任」や「道徳的な観念」が
抜け落ちてもいいという話では
ありません。
「誰かのために生きること。」
この観念を手放してみませんか?
というハナシです。
そして、
「誰かのために行動すること」を、
悪いと言っているのでもありません。
「誰かのために生きる」ことを
手放して、
「自分のために生きる」ことが
大切ではないかと思うのです。
「誰かのために生きている」と、
最終的に、「死ぬ間際」になって
並々ならぬ後悔が押し寄せて
くることになるかもしれません。
私は、
何のために生きてきたのだろうか…と
病院で亡くなられる方の中には、
このようなことをつぶやく人も
少なくないと聞きます。
人生、80~100年生きるとして、
週に換算すると、
およそ4000~5000週間 程度です。
1週間なんて、
「やりたいこと」ではなく、
「やらなければならない」ことを
こなしているうちに、
すぐに終わってしまいます。
では、
この思考から抜けだすためには、
どうすればいいと思いますか?
それは、
「私」が主役になるように
考え方を変えてみる というのは
いかがでしょうか。
たとえば、
家族とレジャーに行くのは、
「私が」家族との時間を楽しみたいから。
家族でお出かけできるのも
あと何回あるのだろうか。
この1回を大切にしたい。
このように、
「自分が主役」になってみると
心が『幸せ』で満ちてきます。
では、ここで、
あなたが小さかった頃を
思い出してみてください。
小学校に入るころまでは、
「好きなこと」しかしてこなかった
のではないでしょうか。
でも…
もしかしたら、最近の子供たちは、
そうではないのかもしれません。
だから、
自閉症や引きこもりなど、
自分の殻に閉じこもってしまう子供たちが
急増しているのかもしれません。
そして、
そのまま(年齢的に)大人になっていく
人も少なくないのです。
このような現象を、
『「自分を生きる」ための防御反応』と
考えてみると、妙に納得できませんか。
だから、
どうしても自分にとって、
優先してやりたいことがある時は、
「誰か」との約束も
断ることが必要かもしれません。
「今」自分は何がしたいのか?
場合によっては、「ワガママ」と
思われることもあるでしょう。
しかし、
「ワガママ」とは
「我がまま」のことです。
この本来の意味は、
「自分の思い通りになること」
です。
「自分勝手」という意味は、
そこから転じたものです。
つまり、
あの人は自分の思い通りになって
羨ましいという「嫉妬心」から
転じた意味なのではないかと
私は想像しています。
本来、
『ワガママ(我がまま)』とは、
「自分らしく生きる」ということでは
ないでしょうか。
わがままというのは、
「相手のことを配慮する」必要など、
どこにもないのです。
『自分のやりたいことをやる』
そうすることで、
あなたは「幸せ」のエネルギーで
満たされていきます。
そして、
エネルギーが満タンになって
あふれだしてきたら、今度は
身近な人にお裾分けするように
なってくるのです。
自然と、自分の好きなことや
得意なことを周りの人にも
してあげるようになるでしょう。
「それは誰かのため」ではなく、
「自分がやりたいから」です。
そして、
「何か」をしてあげたことで、
周りの人が喜んでくれるので、
あなたは、
「嬉しい気持ち」を感じること
ができるのです。
この循環こそが、
最高の幸せではないでしょうか。
私は、
はじめにお伝えした
音楽仲間の話を思い出して、
改めて思ったのです。
「自分を生きよう」と。
今日は、このことをみなさんと
シェアできたことを嬉しく思います。
!(^_^)/
もしも、
あなたがこの壁にぶつかった時に、
今日の私の一方的な話が、少しでも
参考になれば幸いです。
では、今日はここまで~♪